先ほど愛犬が死にました。
2018年の9月28日の深夜2時半頃です。
15歳でした。 ====
3日前からエサを全く食べなくなり、
先日、動物病院に行ったら心不全という診断でした。
そして動物病院から家に帰ってきた後は大人しく寝ていたのですが、
深夜になって家の中を歩き回る音がしたので見に行ったら、
歩いているのではなく、うつ伏せ状態で暴れていました。
全ての足を広げて普段は絶対にしないような体制で暴れていたので察しました。
もう今夜が山場なのだろうと。
僕は体を撫でてあげることしか出来ず、10分後くらいに呼吸が止まりました。
人間と違って犬の場合はどうしたらいいのか分からず、体に毛布をかけておきました。
ネットで調べたらペット用の火葬場とか出てきました。
この記事を書いている今も眠っています。
もしかして生きているのではと思い、何度か見に行ったのですが眠ったままでした。
犬の15歳は人間でいうところの80歳らしく結構生きたと思います。
本当はもっと長生きして欲しかったのですが、
薬を飲みながら病気で苦しみながら長生きするのも悲しいです。
3日前に体調が急変して死んだので、ある意味で救いだと思ってます。
それ以前は本当に元気でした。
なので3日だけの闘病でした。
愛犬は僕が高校生の頃に飼い始めました。
とても元気なことで有名な犬種で、家の中を走り回ってました。
散歩するときは物凄い力で走るので大変でした。
冬になると布団に入ってくるので一緒に寝てました。
手を噛まれて1週間くらい握りこぶしを出来ないほどの怪我をした事もあるし、
家の中でオシッコやウンコをしてそれを踏んだ事もあります。
それらも全て素敵な思い出です。
3日前に犬の体調が悪くなってからは撫でまくりました。
犬の年齢的にも先は長くない、これでお別れだと感じてました。
なので「今までありがとう」とお礼を言いながら撫でました。
とても気持ち良さそうにしていたので少しだけ痛みを忘れてくれたと思います。
小学生の頃にも犬がいたのですが、その犬は急死でお礼も言えませんでした。
そのことがずっと心残りで今でも悔しいです。
しかし高校生の頃から飼い始めた犬にはお礼が言えたので良かったです。
僕は夜にウォーキングやコンビニに行くとき以外は、昼間は常に家にいたので、
犬にとっては寂しい時間が少なかったと思います。
ニート時代の唯一の功績だと思います。
本当は今回の件を記事にするのもどうかと思いましたが、
いつか忘れてしまう日が来るのが怖くて記録として残しました。
学校に友達のいなかった高校時代、それ以降のニート時代を一緒に過ごした最高の友達です。
神様、どうか天国に連れて行ってください。
※追記です。
朝になりました。
一睡も出来ませんでした。
深夜のときは何故か犬が死んだという実感がありませんでした。
しかし朝になって玄関のほうに行ったとき、
いつもなら犬の呼吸の音や歩く音が聞こえていたのですが、
今は安らかに眠っている犬がいるだけで、物凄い静寂です。
昨日までは朝に家の前を少しだけ散歩してたのですが、
今朝はそれをする必要がありませんでした。
明日もその必要がありません。
このとき、犬が死んでしまった事を実感しました。
自分の生活が変わったことで実感しました。
深夜の時には感じなかった寂しさが一気に来ました。
僕は犬が好きだった鶏肉のササミを茹でてほぐしてお皿に乗せて犬の前に置きました。
鼻の前に持っていっても無反応でした。
ササミを茹でてるとき、いつもなら犬が台所に来て、
そして僕の足元を歩き回っていたのですが今朝は眠ったままです。
こんなに静かな台所は生まれて始めてかもしれません。
それと犬の爪を切ったりブラッシングもしました。
元気なころは爪を切るのもブラッシングも犬が嫌がって暴れていたのですが、
今朝は何も抵抗がありませんでした。
もしかしたら爪を切るときに起き上がるのではないかと思いましたが、
何も抵抗が無く綺麗に切れました。
僕は犬に「散歩行こう」とか「ご飯だよ」とか話しかけたのですが、
全く反応しませんでした。
これで話し相手のいない僕の唯一の会話もなくなりました。
僕にとっては犬だけが話し相手でした。
なのに今朝からはいないです。
本当に心が押しつぶれそうなほどの寂しさが来てます。
この気持ちをどうしたらいいのか分かりません。
今は僕と同じ経験をした芸能人や一般人のブログを読んでます。
色んな芸能人たちが僕と同じような悲しみを経験していました。
僕はそれを読んで余計に悲しくなるのと同時に、
仲間を見つけた安心感も感じています。
みんな気持ちを整理して立ち直ってます。
しかし僕もいつか立ち直れる日が来るのかという不安も出てきました。
みんな仲のいい家族がいたり、外に出れば友達がいる人ばかりです。
だから立ち直れたのだと思います。
僕みたいな犬だけが友達だった人間はどうすればいいのかという不安です。
いつか立ち直りたいです。
夕方に火葬場に行きます。
とにかく「今までありがとう」という言葉をかけてあげたいです。
※追記その2
先ほど火葬場・葬儀場に行くためにダンボールに毛布を敷き、
そして硬直してしまった犬を持ち上げてダンボールに入れようとしたら、
なんとダンボールの長さが足りずに犬が入りませんでした。
そこで僕は少し笑ってしまいました。
深さのあるダンボールだったので、
ダンボールを横向きにして側面に犬を寝かせる事にしました。
犬が生きてたころ、来客に吠えたり廊下のど真ん中で寝てたり、
晩年は絨毯の上でオシッコを毎日のようにしてましたが、
僕はそれを注意はするけど本気で怒ることは無く、
そういう部分も可愛いと思ってました。
なのでダンボールに入らなかったときは最後の最後まで迷惑で可愛かったです。
もちろんダンボールを選んだのはこちらなのですが、
この馬鹿な出来事が僕の犬らしくて笑ってしまいました。
ダンボールにはエサの皿も一緒に入れました。
赤ん坊のころから使ってるボロボロの皿です。
エサの皿にはドックフードと鶏肉のササミが入ってます。
それと散歩用の紐も犬につけておきました。
形見として残しておこうかなと思いましたが、
エサも散歩も大好きだったので入れておきました。
そして僕は犬の頭を撫でながら最後のお礼やお別れの言葉を言いました。
数日前から言い続けていた「今までありがとう」という言葉や、
「楽しかったよ」「大好きだよ」という言葉も言いまくりました。
そして「天国でまた会おうね」と言ったのですが、
僕は天国には絶対に行けない人間である事に気づき悲しくなりました。
犬に会えない事と僕が人間のクズである現実が同時に襲ってきて泣きました。
数時間後いよいよ火葬場に行く時間になり、
車を持ってない僕は親の運転で火葬場に向かいました。
その途中に車の中から火葬場に電話をしました。
ペットを火葬してほしいと電話をしました。
そしたら火葬場の人が、
「本日は友引なので火葬は行っておりません」
という返事が来て、明日に火葬する事になりました。
これもまた少しだけ笑ってしまったのと、
もう一日だけ一緒にいられる喜びが湧きました。
今はまた玄関前の廊下で安らかに眠っています。
さっき気づいたのですが、ダンボールに犬のオモチャを入れ忘れてました。
頑丈な綱で出来たオモチャで10年以上前から家にあります。
元気だったころは毎日それを噛んで遊んでました。
僕が投げたのを拾って来させたりもしてました。
なので僕にとっても犬と遊んだ大切な思い出の物でした。
ここ数ヶ月はオモチャで遊ぶことも無くなって、
僕が投げても追いかける事はなく、それで存在を忘れてました。
でも犬を車から降ろして再び家の中に運んでるときに発見しました。
火葬場が休みだったことで犬にとっての宝物を入れることが出来ました。
もし今日火葬していたら、オモチャを入れ忘れたことを後悔してました。
本当に運が良かったです。
エサの皿、散歩の紐、オモチャ。
どれも僕らにとって大切な思い出なので形見として残そうと思ったのですが、
それよりも犬と一緒に天国に行って欲しいと思い全て入れました。
ダンボールと友引の件で少しだけ気持ちが楽になりました。
もしスムーズにダンボールに入って火葬されてたら酷く落ち込んでたでしょう。
少しだけ救われました。
※追記その3
先ほど火葬してきました。
木曜日の深夜(金曜日の午前2時半)に犬が死んだ日は一睡も出来ませんでした。
金曜日は友引で火葬場が休みで家に戻ってきて、
その夜の11時ごろに重大なことを思い出しました。
そういえば白米も大好物だったな、と。
何も味がついてない白米がドックフードよりも大好物でした。
なので僕はご飯を炊いてエサの皿に乗せる事にしました。
朝に炊き立てのご飯を乗せようと思っていたのですが、
朝になったら忘れてしまいそうで夜の11時ごろに米を研いで、
12時ごろに炊き上がり、そして冷ましてから皿に乗せました。
ドックフード、鶏肉のササミ、白米。
物凄く豪華になりました。
この時点で僕は40時間くらいずっと起きていました。
眠気は全くなく、このまま朝を迎えると思ってました。
深夜2時半頃になり犬が死んでちょうど24時間だなと考えたりしてました。
布団に入っても全く眠れずボーっとしていました。
時計を見て4時過ぎだったのも覚えてます。
その後、急に眠ったというか気絶みたいな感じで、いつの間にか朝になってました。
そして親が僕の名前を呼ぶ声で飛び起きました。
玄関で「火葬場に行くから犬を車に乗せろ」と言われました。
朝9時に出発なので9時になる数分前でした。
たぶん5時間くらい眠れました。
昨日の夜に米を炊いておいて本当に良かったと思いました。
本当は7時に起きて米を炊いて、という計画だったのですが、
もしそれだったら間に合いませんでした。
友引だったことや深夜でも行動した事でオモチャと白米を入れることが出来ました。
火葬場に到着して、ペット用の火葬場の入り口まで犬の入ったダンボールを運び、
入り口の台車の上に犬の入ったダンボールを置き、
線香に火をつけて「今までありがとう」と祈りました。
葬式的なものはなく1分くらいで終わりました。
金属類は火葬できないようで、
散歩用の紐はフックの部分が大きなアルミなので取り外しました。
今は家の玄関の下駄箱の上、いつもの場所に置いてあります。
エサの皿と水の皿はプラスチック製なので大丈夫でした。
もしペットを飼っている人がこの記事を読んでたら、
プラスチック製のお皿をお勧めします。
綱のオモチャや毛布、大量に余っていた大袋のエサも大丈夫でした。
うちの犬は首輪ではなく胴輪で、
散歩の紐のフックをかける部分が同じくアルミなのですが大丈夫でした。
そして係員の人がいろいろと説明をしてくれました。
他のペットとの合同での火葬なので遺骨は無い、
○○寺に供養するので墓参りは○○寺へ、
みたいな説明をしてくれました。
その後、係員の人が台車を奥の部屋に運び、それで終わりました。
てっきり火葬が終わるまで待ってるのかと思いましたが違いました。
お金がないので遺骨をもらえる個別火葬ではなく合同火葬でした。
ですが家に遺骨があると悲しい気分になって心が潰れてしまうので、
これで良かったなと自分に言い聞かせました。
それと、他の動物達と一緒に火葬されるので寂しくないと思います。
お墓も共同墓地でその寺がなくなるまで永遠に誰かがお参りしてくれます。
これでよかったんだと思います。
家に帰って犬がもういないとても静かな玄関で靴を脱ぎ、
今日の出来事を忘れる前にブログを書き始めました。
もう火葬が終わってるのか、夕方に火葬するのか分かりませんが、
とにかく今のうちに書きたいと思いました。
途中でトイレに行ったのですが、いつもならトイレに行く途中の廊下で犬が寝てて、
いつも僕は意味もなく名前を呼んでたりしてたのですが犬はもういません。
名前を呼ぶのが癖になっているのでさっきも呼んでしまいました。
うちの犬は家の中で放し飼いにしてて、
たまにいつもとは違う場所で寝転がってたりします。
下駄箱の隙間に入ってたり、寒い日は居間の窓の前で日向ぼっこしてたり、
お腹がすいてるときは台所にあるエサの皿の前で寝てたりしてました。
台風や雷の日は風や雷の音が怖くて隠れてました。
もしかしたら今もどこかに隠れてるかもしれないと思って探しましたがいませんでした。
落ち着いたら昔の記憶が蘇ってきました。
僕は高校時代からずっと友達がいなくて一人でした。
一人で学校に行き、休み時間も一人で過ごし、一人で弁当を食べ、
体育の授業では相手がいなくて孤立して先生が組んでくれたり、
英語の授業で自由にグループを組んで英会話をするときも孤立して、
英語の先生はぼっちに冷たくて僕は一人で立たされた事もありました。
でも家に帰ったら犬がいて、明るい気持ちになれました。
学校での苦しみが癒されて次の日も学校に行けました。
犬のおかげで留年や退学にならずに高校を卒業できたと思ってます。
そこから長いニート生活が始まります。
僕は自己嫌悪の塊の人間で何度も人生を諦めかけましたが、
犬がいるから生きてこれました。
本当は普通に働いて車に乗せて公園とかに遊びに行ったり、
犬と飼い主の集会みたいなものに参加したかったのですが、
お金もないし集会に参加できるコミュ力もないので何も出来ませんでした。
家の前を散歩するのが精一杯です。
犬がまだ1歳か2歳で、僕が高校生の頃に、
近所の低い山を登ったのが外出に関する唯一の思い出です。
犬が生きてるときは何も思いませんでしたが、
死んでから後悔が押し寄せてきました。
今の僕は無職ニートですが去年は働いてました。
それで貯めたわずかなお金で犬が死ぬ数日前に犬用のビタミン剤を買いました。
犬は食欲がなくビタミン剤を飲めないので、
僕はコップにビタミン剤と水を入れて溶けるまで必死に混ぜ、飲ませました。
最後の最後にプレゼントが出来て良かったと思います。
寝不足で体がふらふらしてきたので寝ます。
おやすみなさい。