友達の輪の外
そんな感じで中学1年生は終わりました。
孤立したくないから必死に友達の輪の外で観客をやっていた 思い出ばかりです。
皆が盛り上がってるのを後ろで聞いてるだけ。
プライベートでは無縁の関係。
たまにプライベートでも遊ぶこともあったけど、
それは人数合わせで呼ばれるだけでした。
当時、ニンテンドー64という四人で対戦をするゲームが流行ってたので、
3人しか集まらなかったときに仕方なく僕を呼ぶ感じです。
僕はそれが 苦痛でした。
他の3人は盛り上がってるのに僕だけ黙々とゲームをしてるのです。
人数合わせで仕方なく呼ばれただけの僕には罰ゲームでした。
一緒の部屋にいるのに分厚い壁がありました。
以前は遊びに誘われないことが悲しくて落ち込んでましたが、
その頃になると、たまに誘われるほうが心苦しくなってきます。
4人ゲームをやるための人数合わせなので、誘われるのが嫌になっていました。
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中学2年生になるとそれすら無くなります。
僕は相変わらず学校でABとC達の友達の輪の外で観客をやってます。
休み時間にABCは友達の輪の中で楽しく盛り上がり、そして友達の輪の外で観客のふりをする僕。
小学生の頃にABと仲が良かったという理由だけで金魚のフンをやってる存在。
そこで輪の中の子のプライベートの遊ぶ約束もそこで聞いてます。
「明日の9時に集合な~」みたいな会話を僕は輪の外で聞いてます。
僕が目の前にいるのに存在しないものとして遊ぶ約束の話が進んでゆきます。
いつからか僕は人数が足りなくても誘われる事がなくなりました。
僕はいてもいなくてもいい存在になりました。
僕を呼ぶくらいなら人数が足りないほうがいいという判断になりました。
たまにAが僕に気を使って誘ってくれましたが、年に数回程度です。
Aの優しさに申し訳ないし、C達に迷惑をかけて申し訳ない思いです。
僕は自分のため、
孤立するのが恥ずかしくてグループに入っているふりをしていました。
孤立してると恥ずかしいし、先生が心配したり親が心配するからです。
中学時代は孤立していると虐めのターゲットになってしまうので、
何が何でも友達の輪の外で観客をすることで、孤立してない感じを演じてました。
かつて友達だったABが完全にC達側になり、
僕もかつてABと友達だったという理由でC達についてゆく。
僕はC達と仲良くなれないどころか嫌われている。
C達は僕を内心では排除したがっているけど、Aが僕に対して優しいからC達は僕を排除できない。
僕も孤立したくないからABCの輪の外で立ち尽くしている。
そんな情けない存在になりました。
中学2年と3年の記憶があまりありません。
記憶が無いというか、そもそも何も出来事がなかったのだと思います。
皆が青春を謳歌しているのに僕には何もありませんでした。
しかし、とある件だけは今でもトラウマです。
僕がそのグループに無理やり参加していたという事を完全に証明する出来事です。
C達やABにとって、口には出さないけど邪魔な存在であるという証拠です。
こんな僕がお土産を貰うなんて図々しいと思いますが、悲しかったです。
ちなみに怒ってません。
僕にお金を使わないのは当たり前だと思います。
でも、非常に悲しくてつらくて今でもトラウマです。
世間ではこれを「お菓子外し」というそうです。
お土産を買ってきても特定の人にだけお菓子を配らない行為です。
これは大人の女性OLが使う言葉なので、男子中学生に当てはまるかどうか分かりませんが、
お菓子外しだそうです。
心の壁があるのは前々から分かっていた、気づいていた。
それをお土産で明確に表現されたことが辛かったです。
そんな感じで中学を卒業します。