中学校の卒業式、僕は一人でした。
その日はいつもよりも皆が友情で燃えていて 、
僕はその熱気に近づけない感じでした。
友達の輪がいつもより熱くなっていて、僕は近づくことすら出来ませんでした。
卒業アルバムに何かメッセージを書くという事もありませんでした。
空白のままです。
卒業式が終わり、教室に戻り先生が何かを話して礼をして中学生活が終わり、
外では皆がそれぞれ集まって喋ったり写真撮影をしています。
僕はそこに入れませんでした。
さっき言ったように普段よりも友情の熱気が凄かったからです。
ABC達が写真撮影をしているのを遠目で見てるだけでした。
「一緒に写真撮ろうよ」という勇気もないし、向こうから誘ってくることもありませんでした。
とにかくみんないつも以上に友情に燃えてました。
中学卒業をしても地元を離れず高校に通うので今生の別れではないのですが、
それでも同じ学校ではなく別々の学校に行くのは子供にとって辛い別れなのです。
クラス替え程度でも色々と辛いですからね。
皆が校舎の下駄箱の入り口で喋ったり写真撮影をしてるのを僕は第三者として見ていました。
写真撮影に誘われるかもしれない、という期待も内心少しありました。
ずっと僕は記念撮影しているみんなを遠目で見てました。
客観的に見たら僕は物凄く気持ちの悪い存在だと思います。
卒業式という中学時代最大のイベントで孤立して一人で立っているのです。
撮影に誘われるかもと思ってましたが時間が経つにつれて、
さすがに僕は自分が置かれている状況に気づきます。
僕は写真撮影に誘われないだろうな、と気づきます。
卒業式が終わった後のあの校舎の入り口や校門に集まって写真撮影をやるあの時間帯、
僕は写真撮影もせず会話もせず何をやったらいいのか分からず一人で困ってました。
家に帰っていいのか分からなくて、ただボーっと立って見てました。
先生が「帰っていいぞ」と指示を出すまで帰っちゃいけないと思ってました。
時間が経って、誰かが帰り始め他の人たちも帰り始めます。
そこで僕は家に帰っていいことを理解して、帰ります。
一人で帰りました。
僕には卒業式の写真が1枚もありません。
地元のカメラ屋の業者の人が撮影した写真は家にあるのですが、
友達同士で撮影した写真は1枚もありません。
そんな感じで卒業式は終わります。
そして高校が始まるまでの春休み。
中学卒業して高校が始まるまでの春休み。
僕は一人で地元を自転車で走ってました。
そこでC達のうちの1人に偶然出会います。
C「なんでお前、○○(地元の焼肉屋)に来なかったの?」
僕「え?なんのこと?」
C「だから○○に来なかった事だよ」
僕「○○で何かあったの?」
C「あ・・・いや・・・なんでもない・・じゃあな!」
僕「 え?なになに?」
C「気にするな気にするな」
みたいな会話をしました。
僕は何が起こったのか理解できませんでした。
この会話の真意に気がつくのは18歳の頃です。
遅すぎます。
僕は卒業式が終わった後の卒業パーティーみたいなのに呼ばれてませんでした。
クラス全員でやるのではなく、C達やABのグループでやるパーティーだと思います。
お土産をもらえない存在なのだから仕方ないと思いますが、
これも明確に壁があることを証明されてしまって今でもトラウマです。
気づくのが遅かった理由は、卒業パーティーをするという発想自体が無かったからです。
高校3年生にもなると卒業パーティーの存在を知って、
そして中3の春休みのあの会話がフラッシュバックをして理解しました。
あのときのC達が言ってた焼肉屋の話は卒業パーティーの事だったんだ・・・
と理解することが出来ました。
コミュ力が無いから卒業パーティーに参加できず、
コミュ力がある人は卒業パーティーに参加して更にコミュ力を上げてゆく。
今になって思うと、こうやって社会性の差が広がってゆくんだなと思います。
僕の中学3年間をまとめるとこんな感じです。
小学校時代の友達のA君B君がリア充グループのC達と仲良くなり、
A君B君は僕と距離を置き始め、更に僕はC達と仲良くなれなかったけど、
A君B君と小学校時代に友達だったという理由で、
A君B君C達と一緒に行動をしていたという惨めな3年間でした。
彼らにとって僕は呼んでもいないのに勝手についてくる金魚のフンのような邪魔な奴でした。
でも彼らは優しいから「ついて来るな!」と言わずに黙ってくれてました。
A君B君とは中学卒業後は数分しか会話をしてません。
小学校時代は毎日のように遊んでいたのに、そんな関係になってしまいました。