ニートが就職活動しました
前編からの続きです。
ニート4年目からは焦り始めました。
同級生が22歳になる、大学を卒業するころです。
みんな就職活動とかしてるんだろうな、という焦りです。
僕はそういうのを何もせずネットをやったりアニメを見たりの日々でした。
5年目はテレビをつければ新社会人の ニュースで本当にキツかったです。
みんな就職したのです。
僕は友達がいないので同級生たちの個人的な状況は何も知りませんでしたが、
だいたい想像がつきました。
就職した会社で苦労したり喜んだりして働いて給料を貰っているのです。
みんな朝早くおきて電車や自動車に乗って会社に行って仕事をする。
当たり前のことです。
僕はその当たり前のことも出来ず、そんな自分に嫌気がさしてました。
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ニコニコ動画で現実逃避
そんな自分から現実逃避をするために僕はニコニコ動画を見続けました。
主にゲーム実況です。
一番好きな配信者は「しんすけ」というゲーム実況者でした。
二番目は「永井先生」です。
毎日毎日その人達を見て現実逃避をして時間を浪費してました。
動画を見てるときはとても楽しかったですが、寝る時は不安で眠れませんでした。
この時の経験は無駄だとは思いません。
今でも素敵な思い出ですし、今でもこの二人のことが大好きです。
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就職活動を始めるニート
25歳になって、いよいよ就職しようと思い就職活動を始めました。
僕は就職活動の仕方を何も知りませんでした。
最初に応募した会社は 、インターフォンを取り付ける会社です。
建築現場の家やマンションにインターフォンを取り付ける仕事です。
その会社に私服で面接に行きました。
面接にはスーツを着てゆくという事すら知りませんでした。
なんていうか、本当に異常者です。
学生ならまだしも、25歳でこれです。
コミュ障で相談相手がいないのもそうだし、自分で調べる能力もない。
本当にヤバい奴です。
僕は面接の会話の仕方も何も知らずに行ってしまい、
社長との面接も小声でボソボソと喋ってしまい、
その面接の数日後にお祈り(不採用)の書類 が届きました。
- 2社目は安いスーツを買って面接の勉強もして挑みました。
喋り方も自分なりに良くできてたと思いますが、コミュ症の自画自賛です。
相手にとってはコミュ症でしかありません。
コンクリートでドブのふた等を作る会社でした。
不採用でした。
その次の日に求人サイトを見たら、その会社の求人が出てました。
つまり僕を雇わずに再び求人を出したという事です。
恐らく僕しか応募してなかったのですが不採用だったのです。
今でもショックです。
- 3社目は従業員が10人くらいの町工場です。
作業員が7人くらいで、オバちゃんの事務員が3人くらいの会社です。
面接対策したし、声も出せてたと思います。
これはさすがに合格だろうと思ったのですが不採用でした。
こういう企業にすら合格できない自分にとても傷つきました。
自分の能力の低さを実感しました。
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うつ病で倒れてしまう
また頑張ろうと思ったのですが、なんと鬱病になりました。
自己嫌悪、お先真っ暗な状況、世間から必要とされてない存在。
1社目に落ちたのは僕のせいなので仕方ないです。
2社目は僕が落ちた後に再び求人を出してました。
3社目はいわゆる零細企業です。
もう完全に人生が詰んでました。
当時は就職氷河期だったので求人数も少なくて応募以前に求人すらない。
ニートが勇気を振り絞って就職活動した結果、うつ病になりました。
体が動かなくなりネットを見る元気すらなくなり1日中寝てすごします。
天井を眺めて1日が終わる感じです。
食欲もなくなりガリガリになり、風呂に入る元気もなくなり体も髪も脂でベタベタ。
体が臭くて家族に汚物扱い。
僕は人生を終わらせようと考えてました。
ロープと、それを縛る場所があれば確実に実行してたでしょう。
ですが両方とも見つからず、準備をする元気もなく、ただ天井を見続けます。
思考力もなくなって、今が何時なのかすら分からず、眠れない日々を半年ほど続けます。
今までにないほど痩せて、たまにお風呂に入ったときに、
お尻の贅肉が無くなった事によって、お風呂の床がお尻の骨にダイレクトに響いて痛かったです。
腕のひじをぶつけたような痛みです。
それくらい痩せました。
そんなとき、久しぶりにネットをやりました。
僕はニコ生に出会います。
続く