さっき、子供の頃に通っていた駄菓子屋さんが閉店をする夢を見て飛び起きてしまいました。
店長に「今日でもう閉店だよ」みたいなことを言われる夢を見ました。
ちなみにその駄菓子屋さんはもう閉店してます。
僕が高校を卒業したときはまだ経営していたのですが、
10年ニートをしている間に、いつの間にか閉店してました。
僕の薄れつつある記憶が消えないうちに駄菓子屋の思い出を語ろうと思います。
保育園時代とBB戦士というガンプラ
僕がその駄菓子屋に初めて行ったのは保育園児のときでした。
お爺ちゃんと一緒に散歩に行った時にその駄菓子屋に寄りました。
たぶん僕はその頃から引きこもり気質で、それを心配したお爺ちゃんが僕を散歩に引き連れていって、
散歩したご褒美に駄菓子屋で何かを買ってあげるつもりだったんだと思います。
そして僕が選んだのはお菓子ではなくガンプラでした。
ガンプラとはガンダムというロボットのプラモデルです。
プラモデルにも色々と価格帯があって、
僕は子供向けのガンプラのBB戦士の武者ガンダムのシリーズの何かを買ってもらいました。
細かい名前は覚えてませんが、武者ガンダムシリーズだったことは覚えてます。
子供向けの小さなガンプラなので値段は300円で、気軽に買ってもらえました。
その後も一緒に散歩したらガンプラを買って貰いました。
武者ガンダムだけではなくナイトガンダムとか色々と持ってました。
この記事を書いてて思ったのは、僕の引きこもり気質は幼少期の頃から酷かったんだなと思いました。
小学生時代とミニ四駆
小学生になった頃、ミニ四駆が流行ってました。
ミニ四駆とは電池を入れて走るオモチャの車だと思ってください。
小学生になった僕はもうお爺ちゃんと一緒に散歩に行ったら何かを買ってもらえる制度は終わってたのですが、
何度も何度もお願いしてミニ四駆を買ってもらいました。
なぜそこまでミニ四駆が欲しかったのかというと、
駄菓子屋さんの入り口のところにミニ四駆を走らせるための大きなコースがあって、
そこで他の子供たちが楽しそうにミニ四駆を走らせて遊んでいたからです。
僕もそこに参加したかったのだと思います。
そして僕はミニ四駆を作ってそして駄菓子屋のコースで走らせてました。
他の子に「どっちが早いか勝負しようぜ!」とか言われて勝負もしてました。
それがすごく楽しかったです。
その後に「レッツ&ゴー」というアニメも始まって更にミニ四駆ブームが盛り上がりました。
僕はトライダガーXとかブロッケンGという敵役のミニ四駆を持ってました。
何故か正義の主人公が使っていたマグナムセイバーとかソニックセイバーという機種には興味がありませんでした。
他のみんなが主人公側のカラフルなミニ四駆を走らせてる中、
僕だけは敵側の暗い色のミニ四駆を走らせてました。
当時の僕は何故かそれがお気に入りでした。
小学校が終わって家に帰ったらミニ四駆を持って駄菓子屋に行ってミニ四駆を走らせる日々でした。
しかし子供のブームはすぐに終わってしまうものなので、
ミニ四駆ブームもすぐに終わってしまいました。
でも僕はそれでもミニ四駆が好きで、
駄菓子屋のコースには僕以外に誰もいない状態で一人でミニ四駆を走らせてました。
他のみんなと一緒に走らせてたときの幻想を追ってたような気がします。
その行為も虚しくなり、僕はミニ四駆を辞めてしまいました。
ミニ四駆が好きだったのではなくみんなと走らせるのが好きだったのだと思います。
ハイパーヨーヨー
ミニ四駆ブームが終わった後にハイパーヨーヨーというオモチャが流行りました。
どんなオモチャなのかというと、ヨーヨーのすごいやつです。
口では説明できないので、ハイパーヨーヨーについて知りたい人はYoutubeで見てください。
ハイパーヨーヨーは「おはスタ」というテレビ番組で紹介されてて全国的に大ブームでした。
僕はそれを買ってもらい、練習しました。
家の中で遊ぶには危ないヨーヨーだったので駄菓子屋の近くにある公園で遊んでました。
ロングスリーパーとかループザループという技の練習をしてた記憶があります。
テレビでは全国的なブームだという事だったのですが、
僕の地元では何故か全く流行ってなくて僕もすぐに辞めてしまいます。
中学時代と遊戯王のカードゲーム
中学生になった頃、遊戯王というカードゲームが全国でブームになります。
全国というか全世界でブームだと思います。
少年ジャンプで漫画が連載されてて、アニメも放送してました。
みなさんも知ってると思います。
学校の教室ではみんな遊戯王の話題ばかりでした。
ヤンキー系の人たちも遊戯王にハマっていて、学校に遊戯王のカードを持ってきて先生に怒られたりしてました。
遊戯王のカードも駄菓子屋で売ってました。
カードダスという機械で売ってましたが、僕がそれを買うことは無かったです。
中学生になった僕はその駄菓子屋に行く回数は減ってました。
その駄菓子屋はお菓子やオモチャだけではなく文房具も売ってました。
中学生になった僕は駄菓子屋に文房具を買いに行くだけになってました。
ガンプラも遊戯王も買ってません。
なので中学生の頃は駄菓子屋には年に数回程度しか行ってません。
それと、中学時代は何故か駄菓子屋に行くのが恥ずかしい気分でした。
上に書いたように、遊戯王が流行ってる事は知ってました。
でも僕は遊戯王のカードを買いませんでした。
何故なら友達がいなかったからです。
遊戯王は一人で遊ぶ物ではなく、二人で対戦して遊ぶゲームです。
上辺だけの友達のような存在はいました。
向こうは僕のことを友達とは思ってなかったけど、
僕は一人で孤立してるのが恥ずかしくて、無理やりグループに参加してました。
そのグループも遊戯王が流行ってたのですが、一緒に遊戯王で対戦して遊ぶほど深い仲ではなかったです。
僕が勝手に無理やり参加してるグループの子たちが対戦してるのを後ろで見てるだけでした。
なので遊戯王のカードを買うことなく終わりました。
中学時代の駄菓子屋の思い出は文房具を買った程度です。
高校生になり、僕はホテルでアルバイトを始めました。
そこで給料を貰い、お金を自由に使えました。
インターネットを始めたのも高校生からで、僕はネット通販でいろいろと買い物をしまくりました。
ゲームや漫画を買ってました。
でもゲームを最後までクリアするとか、漫画を最後まで読んだりするのは滅多になかったです。
買い物することが目的になっていたのです。
ファイナルファンタジー10すら途中で辞めたほどです。
買って満足して、最後まで遊ばないのです。
あるとき、僕は駄菓子屋さんに行って文房具を買おうとしてました。
そしたらガンプラが目に入りました。
保育園時代に作ってた子供向けのBB戦士ではなく、
マスターグレードという本格的な大人向けのガンプラを買いました。
BB戦士は300円や500円だったのに対し、マスターグレードは3000円くらいしました。
僕が買ったのは「Zガンダム」というガンダムだったのを覚えてます。
パッケージがカッコ良くて一目ぼれをしました。
それがきっかけで僕の中で第二次ガンプラブームが来ます。
とにかく買いまくりでした。
完成したガンプラを本棚の上に飾っていたのですが、
作成したガンプラの数が多くて置けなくなって、ダンボールにしまっておいたほどです。
ちなみに高校生当時の僕はガンダムのアニメを見たことがありませんでした。
ガンダムのプラモデルが好きなのであって、ガンダムのアニメには一切興味がありませんでした。
ガンダムのデザインとか、プラモデルを組み立てる作業が大好きでした。
ガンプラもネット通販で買おうと思えば安く買えたのですが、僕は駄菓子屋で買い続けてました。
何故なら、その駄菓子屋には僕以外の客がいない状態でした。
僕が住んでる地域は田舎で少子化だったし、そんな田舎にもコンビニが出来て、
お菓子も漫画も文房具も肉まんあんまんもコンビニで買えるようになったからです。
遊戯王カードもコンビニで売ってました。
それで駄菓子屋に行く子も減ってて、駄菓子屋にとって僕が一番の客になってました。
僕は情でその駄菓子屋に行ってたんだと思います。
数少ない僕の楽しい思い出の大半をその駄菓子屋が占めていたからです。
高校時代はコンビニに行った回数よりも駄菓子屋に行った回数のほうが多いと思います。
そして僕は高校卒業後、少しだけ警備員のバイトをしてニートになります。
高校で孤立してて3年間ずっと一人で昼ごはんを食べていた高校生活だったので、
もう学校生活というのが嫌で大学に行くという選択肢がなかったです。
警備員以外にいろいろとバイトに応募したのですが、
当時18歳とか19歳という就職には絶好の年齢にも関わらず不合格になりまくり、警備員になりました。
僕以外の警備員は中年とか老人しかいなくて、若すぎる僕は浮いた存在でした。
その警備員もすぐに実質リストラみたいな感じになって、自信を完全に失ってニートになりました。
どれくらいの期間ニートをやっていたのかというと10年以上です。
ニート時代は世間の目が怖くて外出するのは夜の散歩だけでした。
それと深夜のコンビニです。
なので駄菓子屋が営業している時間帯に外出は無理でした。
その10数年の間に駄菓子屋は潰れてしまいました。
いつ潰れたのかさえ知りません。
僕がニートになった1年目に潰れたのか、ニートになって10数年が経って社会復帰した頃に潰れたのか、
状況が全く分からないのです。
近所の人に聞けば分かるのでしょうが僕のコミュ力やらニート歴で不審人物扱いなので無理です。
僕が高校3年生のとき、駄菓子屋には売れ残った古いガンプラが大量にありました。
古いミニ四駆もあったしミニ四駆を走らせるコースも残ってました。
賞味期限の切れた駄菓子も大量にありました。
お客が本当にいない状況でした。
1日に1人も客が来ない日があったのかもしれません。
もし僕がニートにならず普通に働いて給料を貰って、
駄菓子屋で買い物を続けたとしても、遅かれ早かれ潰れていたと思います。
でも少しだけでいいから力になってあげたかったです。
閉店するその瞬間まで客として買い物を続けたかったです。
僕が大金持ちだったら全てを買い占めたかったです。
この駄菓子屋が好きだった一番の理由は店長のお爺さんが優しかったからです。
ガンプラとかミニ四駆やお菓子とか、そういうのは二番目以降の理由です。
僕にも気さくに話しかけてくれました。
僕のことを保育園から高校卒業まで見てくれてました。
ここまで長い付き合いは家族以外では駄菓子屋の店長だけです。
駄菓子屋が閉店した理由は売上の問題だけではなく店長の年齢の問題もあったと思います。
そういう心残りがあって店長に「今日でもう閉店だよ」と言われる夢を見たのだと思います。
みなさんの地元にもそういう店があると思います。
駄菓子屋ではなく飲食店とかもそうです。
今のうちに行っておいた方がいいですよ。