15年ニートした発達障害の末路

ニート歴15年、発達障害(ADHD、ASD、LD学習障害)の人生です

2022年の12月9日でニート卒業から3年が経ちました

  • ニート卒業してからの物語

 

2022年の12月9日でニート卒業から3年が経ちました。
今から3年前の20019年の12月9日に工場の派遣に就職して働き始めました。
(ちなみに2021年の7月頃に退職してるので、今はその工場では働いてません)


その工場で働く以前にも警備員だとかコールセンターとかでも少しだけ働きましたが、
それはニート卒業という感じではなく、ニートが無理して働いてる感じでした。
学生がバイトで働いても社会人とは呼ばないような感じです。
ニート卒業とか社会復帰とか、基準がよくわかりません。
言葉での説明は難しいですが、僕は20219年12月8日までニートは卒業してませんでした。
(この定義については面倒なのであまり気にしないで下さい)


でも2019年12月9日に工場で本格的に働き始める事になり、ニート卒業をしました。
コールセンターは主婦の副業だったり、警備員は老後の人ばかりで、
とにかく雰囲気が緩い感じでした。
仕事内容は僕にはブラックでしたが、雰囲気は緩かったです。

当時30代中盤の僕がその職場にいると異質な感じでした。
コールセンターは主婦の女性ばかり、警備員は老人ばかり。
そんな職場で30代中盤のオッサンは浮いた存在でした。

「なんでこんなところで働いてるの?」と聞かれたりもしました。
普通だったら30代中盤の男は働き盛りなのでもっと別の仕事をしてるのです。
警備会社では僕は若者扱いで、他の警備員の人からは「○○くん」と呼ばれてました。


でも工場は20代30代の男性がメインの職場で、物すごいスピードで作業をしてました。
作業員の大半が僕より年下な感じだったので、僕の呼び方は「○○さん」になりました。

僕が工場でやった仕事は、その工場の中でも一番キツい部類の、
重いものを持ち上げたり運んだりする本格的な肉体労働でした。
想像以上に重いです。
しかも粉塵が舞う汚い環境でした。
派遣なのでそういうのをやらされました。


仕事内容はとにかくハードでした。
高校生の頃のホテルでのバイトもそこそこハードなもので、皿洗いや風呂洗いをしてました。
ホテルの皿洗いは家の皿洗いとは違い、熱湯で洗うので暑かったです。
しかも普通の飲食店と違って1人の客が10枚くらい食器を使うので、物凄い量でした。
冬でも半袖で汗をかきながらやってました。

工場も12月でも汗をかきながら半袖で作業をしました。
重い製品を持ち上げるあの感覚は今でも体が覚えてます。

工場で働き始めて2日目には無理だと悟って転職を考え始めました。
そして家に帰って求人サイトを見ます。
まだコロナ前で有効求人倍率が非常に高くて、求人が大量にあって、
その求人を見て周るだけでも大変でした。
家に帰って寝る直前まで求人サイトを見てました。


僕がニートをやってた2000年代から2010年代前半の頃は、
氷河期だとかリーマンショックだとか東日本大震災で求人なんてほとんどなくて、
それで10分もあれば僕の学歴や通える圏内の求人を見終えてました。
僕が住んでる田舎町で検索しても求人が0件だった衝撃は今でも忘れません。

でも2019年の12月は日本の歴史に残るレベルで求人が多かったそうです。
団塊の世代が2人定年退職しても、若者は少子化で1人しか就職に来ない云々で、求人が多かったそうです。
従業員不足で経営が成り立たなくなる「人手不足倒産」なんてのもありました。

そんな状況でも僕は転職できず、この重労働の工場を続けるしかありませんでした。

この工場に入る前に、体力に自信の無い僕は重労働は無理だと思って、
それで機械を操作する感じの体力をあまり使わない仕事の求人にも応募をしたのですが、
そういう仕事への就職はニートの僕では無理で不採用で、
それで誰もやりたがらないこの重労働の工場に採用されました。

僕には職歴なんてありませんので、これが限界でした。
なのでこの工場の仕事が嫌で転職したくても、僕が採用されそうな企業はありませんでした。
どれだけ人手不足だろうが10年ニートはこういう仕事をやるしかないです。

  • 2020年

そして年が明けて2020年になります
ここで新型コロナウイルスが世界的に流行り病になります。
新型コロナで景気が悪くなって、求人も少なくなって、本格的に転職の道は閉ざされました。

でも幸運だったのは、僕が派遣切りされなかったことです。
他の企業だと派遣切り(リストラ)が大量にあったのですが、残してくれました。
僕が働いていた工場の近くに新しく食堂や社員寮を建築中だったので、財政に余裕があったのかもしれません。

派遣切りを免れただけではなく、
コロナの影響で工場での仕事の量が大幅に減ったことにより、仕事が楽になりました。
それで転職を考える必要もなくなりました。

正社員のように不景気でもクビにならず給料を貰えて、
そして仕事も少なくて本当に天国のような時間でした。


仕事以外での出来事では、
コロナウイルスでどの飲食店も客が少なかったことも良かったです。

僕はニート時代にYoutubeで食レポ動画を毎日観てました。
でも僕はニートでお金がないので、それを買えませんでした。
学生が学校帰りに買うようなマックの新商品すら買えません。

そもそもニートであることが恥ずかしくてお店になんて行けません。
深夜のコンビニでは客がいないし、店員も僕と同じような感じの人だったので行けましたが、
たまに親に100円を貰ってお菓子を買う程度でした。
そんな状況でYoutubeの食レポ動画を観てました。


工場で働き始めてからは少ないですが外食できる程度の給料は貰ってて、
それでニートである恥ずかしさも無くなってて、いろんな飲食店に行けました。
お金の問題だけではなく、コロナで客が少なくて一人でも店に入りやすかったのが大きいです。
有名チェーン店でも土日でも片手で数えるほどしか客がいない状況でした。

とにかくいろんな飲食店に行きました。
カラオケとかボウリングにも挑戦しました。

2020年はいろんな経験をして本当に楽しかったです。
ずっと画面越しに観てた月見バーガーとかサイゼリアのミラノ風ドリアとか、
そういう憧れの食べ物を食べる事ができて、本当に嬉しかったです。
ずっと画面越しに観てるだけだったからこそ、目の前で本物を見てそして食べたときの感動は凄かったです。

2020年はこんな感じで終わりました。

  • 2021年


2021年に入ると仕事が少しずつ忙しくなってきます。
2019年12月の頃のように、辞めたいくらい忙しくなってきました。
僕の作業スピードが遅すぎなせいで他の社員に怒られるようになってきました。

そして別の部署に飛ばされてしまいます。
新しい部署でも上手く行かず、仕事を与えてもらえなくなって、
棒立ちするだけの日が来るようになって、掃除以外に何もやらせてもらえない、
いわゆる閑職になって2021年の7月に退職しました。
本当は2021年の出来事こそ長文で書きたいのですが、
書いてると気力と体力を使ってしまうのでこれで終わります。


工場では合計で1年半くらい勤めました。
そんな感じのニート卒業からの退職でした。
簡単な説明ですが、これが僕のニート卒業の記念の思い出です。
普通の人にとっては「1年半しか働いてない」と思うのでしょうが、
僕にとっては「1年半も働いた」という気持ちが大きいです。
他の発達障害の人たちも僕の気持ちを分かってくれると思います。


・3年目

ニート卒業からもう3年が経ったのか、という気持ちが強いです。
12月9日は僕にとっての記念日です。
15年以上もニートをしてた人間が社会復帰をした日なので、とても重要な日です。
残念ながら仕事は続きませんでしたが12月9日は記念日です。

このブログを始めたのは2017年3月です(さっき自分で調べました)
なのでブログを始めてから5年以上も経ってます。


あの頃から僕は何も成長していないなと感じます。
精神科のお医者さんから抗うつ剤を貰うほどになったので、
3年前や5年前よりも能力は低下してると思います。

工場を辞めた後に、人生を安定させるために介護の資格を取って、
それで老人ホームに就職したけど2週間で辞めてしまいました。
介護の仕事はコミュ症には絶対に向いてない仕事でした。

そして仕分けのバイトも始めましたが既に辞めてます。
この話はそのうち記事にしようと思います。

そして現在は別の工場で働いてます。
今年だけで3つ目の職場です。
これもそのうち記事にするかもしれません。
ちなみに上手く行ってません。
試用期間で切られる可能性すら出てます。


今回の記事は以上です。
12月9日は僕にとってのニート卒業・社会復帰の記念日だという話です。
この記念日もいつか忘れてしまう日が来るだろうから記事として残しました。

そして昔からこのブログを読んでくれてる人たちに感謝します。
最近読み始めた人にも感謝します。

僕の一番の理想は仕事が上手く行ってそしてこのブログを更新する必要がなくなる事ですが、
現実はそうならず転職を繰り返すと思うので、これからも続きます。
これからもよろしくお願いします。