記事のタイトル通り、車検や税金、そしてガソリン代や駐車場料金などなど・・・
自動車を維持するためのお金が払えなくて車を手放す事になりました。
まずは仕事の話からです。
僕は現在、無職です。
テレアポの仕事は10月上旬に辞めました。
続けなきゃ続けなきゃという思いはあったのですが、
その思いに体や心がついてこず出社できなくなって、そのまま 辞める事になりました。
たぶん精神病院に行ったら何かしらの精神病認定されると思います。
詳しくは↓のリンクの記事を読んでいただけると分かります。
この記事です
僕は何も言わずに会社に行かなくなったのですが、
テレアポの会社からは電話はかかってきませんでした。
あの会社は出入りが激しい会社で、僕以外にも急に来なくなる人が大勢いました。
なので従業員を心配したり退職の確認の電話もしないのでしょう。
更に非正規以下の請負という労働契約なので、
テレアポの会社が僕を雇っているわけではなく僕の自営業的な形で、
それで法律的にも会社にとって従業員はどうでもいい存在なのでしょう。
そして自動車の話です。
車検や税金や駐車場代を払うお金がなくて、車を手放すことになりました。
テレアポの仕事で貯めた十万円では足りませんでした。
ボロボロの車なので30万円くらい必要だそうです。
もし今でもテレアポの仕事を続けてても貯まらなかった金額です。
10年以上ニートしていた僕ですが、この車には色んな思い出があります。
まず初めての車だという事です。
それだけで思い入れがあります。
この車は元々は親が乗っていた車で、親が新しく車を購入するのを機に譲り受けました。
なのでこの車をお金がないという理由で手放すのは親に申し訳なくて心が痛いです。
親からのプレゼントなのですからね。
お金があったとしても、いつか手放す日は来るのですが、
お金がないという情けない理由で手放すのが申し訳ないです。
この車を譲ってもらったのは高校卒業した次の年でその時は少し遠出もしました。
高校時代のバイトで貯めたお金が少しだけ残ってて、
それで少しだけですが何かを買い物した記憶があります。
一ヶ月も続かなかった警備員のバイトもこの車で行きました。
一度だけですが映画館にも行きました。
どの映画を見たかは年齢がバレてしまうので言えないのですが、
アニメの映画で、放映が終わる直前でガラガラでした。
ホットドッグを食べた記憶もあります。
作り置きで冷めててパンがパサパサで不味かったです。
爆発するシーンの音響が大迫力で驚いた記憶もあります。
二十歳以降のニート時代は必要最低限の運転しかしなくなりました。
隣町のコンビニに買い物に行く程度です。
地元のコンビニは世間の目が恥ずかしくて行けませんでした。
ガソリン代も親が払っていたので申し訳なくて遠出も出来ません。
なので20代の頃は合計で1万キロくらいしか乗ってません。
30代はテレアポの仕事のために乗り、
そして10年以上ぶりにドライブに出かけたりしました。
コンビニで高い物を買ったり、モスバーガーも買いました。
マックで月見バーガーも買いました。
詳しくは下の記事を読んでください。
初任給でドライブをした話
最後の最後に思い出ができて良かったです。
もしこの思い出がない状態で車を手放していたら、もっと落ち込んでいたと思います。
でも社会復帰してドライブした思い出を作れて本当に良かったです。
車もドライブが出来て喜んでいるような気がします。
この初任給でドライブをした経験が今の僕の糧になっていると思います。
本当に最後の最後に車との思い出ができて良かったです。
車を手放したのは本日です。
1週間前に自動車工場の人に事情を説明して、
それで駐車場まで取りに来てもらう事になりました。
既に車検切れなので僕が持ってゆくことは出来ず、自動車工場の人が駐車場まで取りに来ました。
僕が自動車工場の人に直接車の鍵を渡すのではなく、
車の中に鍵を置きっぱなしにして駐車場に鍵の開いた状態の車を放置して、
それで自動車工場の人が朝に駐車場まで車を取りに来るという手順です。
田舎なのでこんな感じで大丈夫です。
僕は昨日の夜に車のドアを開けてそして鍵を置いてドアを閉めました。
昨日はそれだけで終わりました。
そして本日、3時間しか眠れず早朝に目が覚めました。
もともと不眠症で5時間睡眠くらいなのですが、今日は3時間で起きました。
駐車場を見ると僕の車はまだありました。
僕は車に乗りました。
最後に少しだけ運転席に座ってみたいと思ったからです。
車検が切れてるので乗ったといっても運転はせずにエンジンをかけただけです。
そして
「今までありがとう!楽しかったよ!」
みたいな感謝の言葉を何分か言い続けました。
結構大声で叫んでしまいました。
車から降りて家に戻ったら外から知らない人の話し声が聞こえました。
次に僕の車のドアが閉まる音やエンジン音がしました。
僕が車に感謝を言った数分後に、自動車工場の人達が取りに来たのです。
僕は家の2階から僕の車が自動車工場に向けて出発する姿を見てました。
あと数分だけ起きるのが遅かったらお別れを言う前に持ってかれてました。
もしかしたら車が僕を早く起こしたのかもしれません。
実際にはあり得ない話ですが、そうなのだと思います。
この記事を書いてる数時間前の出来事です。
先ほど、僕の車は自動車工場に行きました。
僕が家にいるのに、車は駐車場にいない。
とても不思議な光景です。
あの車で少しドライブして、コンビニに行って、映画館に一度だけ行って、
19歳から30代前半まで合計で1年間くらいバイトして・・・
10年以上乗って2万キロも走ってません。
普通の人なら自分のお金で車を買って、きちんと仕事をして、
恋人や友達と旅行に行ったり色んな飲食店に行ったり、
遊園地とか動物園とか行ったり結婚して子供を乗せたり・・・
という思い出があって、それに比べたら僕の思い出なんてショボすぎるでしょうが、
それでも僕にとっては大切な思い出です。
ニート時代は親が車検とか払っていたので、それにも本当に感謝です。
僕のために払っていたのです。
もし車がなかったら完全に引きこもりでしたからね。
外に出るきっかけがあって良かったです。
今まで本当にありがとうございました。
親が乗ってた距離を合わせて合計7万キロです。
車は10万キロ以上乗れるので、お金があればまだ乗り続ける事が出来ました。
でも僕の不甲斐なさで手放す事になりました。
それが悔しいし、車にも親にも申し訳ないです。
僕のこれからの予定も全く立っておりません。
田舎なので車が必須なのに、車がなくてどうしたらいいのか分かりません。
とりあえず今は再びニートに戻ってます。
車がなくてもどうにかする方法を探してます。
何か動きがあったらまた記事にします。
アドバイスがあったら教えてください。